ショパンと美術——「若きポーランド——色彩と魂の詩1890-1918」展評・余滴

 2025年10月、ショパンコンクールが今たけなわである。何と言ってもChopin Institute がYouTubeで大変に高品質な中継、録画を、予備予選から本選に至る全演奏について配給していることが、このコンクールへのアクセスと興味を持続的なものにしている。
 ポーランドは「ショパンの国」だけでないのは当然だが、一般にはやはりあまり馴染みのないこの国について、改めてちょっと調べてみると、日本/ポーランド間ではもう何年も、大変に密度の高い交流やプロジェクトが蓄積されてきたことが分かる。私自身は仏文出身でポーランド専門でないだけに、「フォーラム・ポーランド」(任意団体、寄付で運営、https://forumpoland.org/)が展開している文学作品や歴史研究の出版事業が大変に興味深い。またポーランド広報文化センター(政府機関、https://instytutpolski.pl/tokyo/)では逐次、日本全国でのポーランド関連イベントの情報も得ることが出来る。
 今年4—6月に京都国立近代美術館で開催された「若きポーランド」展の、記者会見に出席する機会があったのだが、大阪万博を機縁として、今まで日本ではほとんど知られていない「世紀末美術」の紹介に、官民挙げて熱心に取り組んでいることが、良く伝わってきた。この展覧会をめぐる私自身の美術時評については、次をご覧頂きたい。

 今橋映子「若きポーランドの息吹」(連載〈美の越境〉)『毎日新聞』夕刊、2025年6月12日
 https://mainichi.jp/articles/20250612/dde/014/040/006000c (デジタル版『毎日新聞』)
 https://growing-art.mainichi.co.jp/binoekkyo_20250612/(ウェブマガジン「アートの森」再掲)

せっかくなので、この展評の「余滴」を二つ記しておきたいと思う——

* 余滴1 展覧会関連情報 *

 大阪万博とも連動していたのか、展覧会と連動する関連行事がこれだけあったのも珍しいだろう。私自身、これらを同時に視聴することによって、ポーランドに普段馴染みの薄い一般市民として、上記の展覧会を「立体的に」捉えることができた。

・企画展「映画監督アンジェイ・ワイダ」@国立映画アーカイブ、2024年12月10日—2025年3月23日
・歌曲コンサート「トマシュ・コニエチュニー(バス・バリトン)&レフ・ナピェラワ(ピアノ):祖国への 想い——“若きポーランド”、そして現在(いま)」東京・春・音楽祭、2025年4月24日(関口時正氏のレク チャー付)
・刊行本 関口時正『若きポーランド 手がかり』未知谷、2025年4月

さらに、前もって発行された雑誌特集でも、同展覧会について有益な情報が得られる——。

・池田祐子「こんな展覧会は二度とない!——名品揃いのポーランド絵画」『美術の窓』生活の友社、2024 年12月、pp.74-49.
・「クラクフ美術アカデミーで学んだ今林明子が語る——ポーランド回顧録」同上、pp.80-83.

 そして肝心の同展カタログだが、大変に充実した大冊で、オールカラーの図版の質も良く、研究上の興味深い情報と見識が詰まっている。私自身は、ウルシュラ=コザコフスカ=ザウハ氏の論文で、世紀末ポーランド美術の詳細を初めて学び、池田祐子氏の重要論文(「〈若きポーランド〉の日本——もうひとつのジャポニズム」)で、西ヨーロッパとは「全く異なる」ポーランドジャポニスムの特徴を知ることができ、大変刺激的であった。つまり祖国再生を願うポーランドにとって日本美術とは、「明確な国民芸術」(p.28)の証であり、インスピレーションの源であったという意味において、実は「政治性を帯びた日本受容」(池田)であったのである。これはジャポニスム研究史上でも大きな一つの展開ではないだろうか。
 
 一方で西洋美術史家の國府寺司氏は、「「若きポーランド」展に寄せて」(京都国立美術館ニュース『視る』第538号、2025年9月15日発行、pp.5-6)で、展覧会終了後少し時間が経た段階で、専門的見地から見たこの展覧会の難点についても直裁に述べている。
 曰く(1)ポーランド近代美術の対外関係をパリと日本に絞ることによって「フランス近代絵画とジャポニスムのポーランド版ヴァリアント」になってしまうのではないかという危惧。(2)ヤン・マティコの大型重要作品が来日しなかったことが残念。(3)マウリツィ・ゴットリープや、キスリングなどポーランド系ユダヤ人作家たちが紹介されなかったことによって感じる、展覧会企画に存在するある種のバリア——。確かに(専門家でない)私自身の鑑賞メモにも、「クラクフが中心となることで、ワルシャワのことが見えないことが残念。また多分リトアニア、ウクライナ、フィンランド、ノルウェイ等の文化との関係もあるのではないか?」とある。今後、この展覧会を起点として、ポーランドと西欧美術との関係(パリ、ウィーン、ミュンヘンだけでなく、北欧、ロシアとも)についてもより立体的に、そして歴史的に分析し描写する新しい書き手があらわれることを、(それが難事業であることを重々承知しつつ)一読者として待ちたいと思う。

* 余滴2 それでもショパン *

 さて「若きポーランド」展は、(私自身の連載時評でも書いたとおり)ショパンの次世代の画家たちを対象に据えているために、ショパンについてはむしろあえて触れない姿勢を取っているように思える。
 そう考えれば、2020年に開催された巡回展「ショパン——200年の肖像」展(練馬区美術館、久留米市美術館、静岡市美術館)は大変重要であった(日波国交樹立100周年記念)。私は残念ながら展覧会には行けなかったのだが、ISBNが付いたカタログ(求龍堂刊行)は現在もネット書店等でも買うことができる。これが恐るべき充実度で、ショパン好きには必携の一冊となっている。
そして今回の「若きポーランド」展には、そこにも出なかったショパン関連の絵画作品が一点出品されていたのである。

ヴアディスワフ・ポトコヴィンスキ《葬送行進曲》1894年(未完)油彩/カンヴァス、83.5×119.5cm
クラクフ国立博物館(同展カタログ、No.37)

この不可思議な絵画は、[ショパンの音楽(ソナタ第2番《葬送》変ロ短調Op.35)⇒コルネル・ウイェイスキの詩「葬送行進曲」⇒ポトコンヴィンスキの絵画]という二重のアダプテーションを経たものであるという。ポーランド語を解さないため、残念ながらその翻案の様を詳細に追うことができないが、目の前に現れ出た未完の絵画は、「しかしこれは未完ではなく、画家はこれで良しとしたのではないか」と思うほど、迫真性を帯びていた。ショパン同様、病気のために早逝した画家だそうだが、画面左の白い靄(嵐?)に向かって右手を差し出し何かを叫んでいるかのような男が、夜の闇に沈む。叫ぶ男の顔と手は、写実的とも言えるほど繊細に描かれ、その技巧は観る者を唸らせる。画面の奥深くには薄明も浮かぶものの、画面全体は漆黒に近い。そこに渦巻く左の白い靄に目を凝らしていると、まるで無数の亡者たちの霊気のようにも見えてくる。まさしくポーランド世紀末の象徴主義の技法が投入されていると同時に、ショパン音楽の一つの切実な視覚化が、ここに提示されているのである。

 はからずも現在進行中の第19回ショパンコンクールでは、第三次予選でこの《ソナタ第2番》が選択課題曲に挙げられている。世紀末ポーランド人画家のこの作品と共に、改めて名演奏に浸るのも一興かもしれない。

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