名残の薔薇:はじめに
2020年春、新型コロナウイルスの流行と共に、私たちの日常生活は大きな変化を余儀なくされた。2月の半ば、「先生方のどなたも取り残すことなく、オンライン授業を4月から開始します!」という驚くべき宣言と共に配布された大量のマニュアルを握りしめ、オンライン化の波に揺られるまま、春から夏が過ぎていった。
東京は、いわゆる「ロックダウン」こそ至らなかったものの、外国人観光客もビジネスマンも学生たちも激減した山手線に乗ると、穏やかな日差しが届く車内はしんと静まりかえってうたたねをする乗客も多く、なぜか中学高校時代の東京に後戻りしたような錯覚に囚われる。
授業は自宅、昼食も自宅、そして夕食も・・・東京郊外に住んで「通勤族」の一人だった自分の日常に、ほどなく「散歩という新しい習慣」が生まれてくる。どこに行くのでもなく、20分ほど離れた別の駅まであえて歩いて、ちょっとした買い物やらをすませて帰ってくる日常。それまで、確かしょぼけたような感じだったはずの団子屋が、季節の餅菓子やお稲荷、赤飯などを盛大棚に並べて大盛況である。郊外族はとかく、毎日の思考が都区内の職場に向かっているので、自分の「地元」を無視して生きているし、実はあまり愛着ももっていない。ところがコロナ禍で俄然、自分は「今どこに生きているのか、これからどこに生きるべきなのか」という深い問いが沸いてくるのである。おそらくこの3年ほど、マスコミに報じられる「都会から地方への移住」もまた、そうした各自の問いと関連付いているのだろうし、「移住」による地方活性という目論見とも連動しているのだろう。
私は3歳から東京郊外で育って、半世紀以上住み続けてきた。団地から住宅地へというわずかな変化はあったものの、東京郊外の変遷を見届けてきたつもりだった。けれども都会勤めの三十年の間に、どことなくやはり廃れてきた住宅街は、コロナ禍の散歩で改めて目に入ってきた今の姿である。一方で歩き続けてみれば、不思議に愛着(あるいは執着?)もあることに気づいてくる。何よりも新興住宅地がいまや「新興」でなく、それぞれの家も古びて、それだけに一軒一軒を「住みなす」個性がにじみ出ているのを、のんびり歩きながら観察するのは、やはり愉しい。我が家の狭い庭の、やりつけない庭仕事をどのくらい「ちゃんと」やるべきかと思案していたのだが、散歩して何十軒という家とお庭を「拝見」すれば、それこそ多種多様、みんな好き勝手にご機嫌に住みなしているのが分かる——そうした日常こそが最上の贅沢であることを、とりわけ2011年と2020年からの厄災で、私たちは会得してきたのかもしれない。
コロナ禍のマスク生活にも、毎日何時間にも及ぶオンライン授業と会議にもようやく慣れてきて、秋も深まったある日のこと——散歩の途中で、しかも我が家から一つ角を曲がっただけの近所の家に、薔薇の花が「まだ」咲き続けていることに急に気づいた。
園芸には詳しくないのだが、秋に咲く薔薇でなく、春から咲き続けているその同じ木である。背高く3メートル近くあるので気づきにくいのだが、確かにまだまだ上の方で薔薇が咲き続けている。秋の陽が傾いて、かすかな寒風に吹かれながら健気に咲いているのである——「名残の薔薇」、そう思った途端、私の脳裏に鮮明に浮かぶ、ある名文章があった。(つづく)