『毎日新聞』掲載記事(2023年5月30日)——メッセージと、関連情報を。

  取材協力記事=高橋咲子記者「そこが聞きたい——人文系博士課程の今/新しい価値の創造担う」
   (『毎日新聞』2023年5月30日(火)朝刊、p.9)
   ( ウェブ有料記事:https://mainichi.jp/articles/20230530/ddm/005/070/006000c

 理系研究がいずれも、社会の役に立つというイメージは皆さんお持ちだと思いますし、だからこそ理系博士の社会的価値は高いことは自明でしょう。政府は2023年4月から、企業の基礎研究や応用研究に博士号取得者を雇用した場合に、法人税額を優遇する新しい政策を打ち出しましたが、これもそうした価値観を反映していると思います。
 対して人文学研究は、同じ「文系」でも社会学研究と異なって、一般的には「社会的利益」に結びつかないと判断され、博士号取得者への評価もほとんどされないのが現状です。

それでは人文系研究で博士号を取る過程で、一体何が得られるのか——その問いに、私は次のように改めて答えたいと思います。
——人文系博士課程ではほとんど、個人研究が主体です。博士課程に進んだ人は、自分にとって大切なテーマ、中心的課題(セントラル・クエスチョン)を思うがまま研究することができます。そしてAIが研究の正解さえ導くのではないか、と囁かれる現在、人文系の学問にはいまだ、「人間」が研究しなくては到達しない宇宙が広がっており、古今東西の書物、手書き資料、非言語資料(音楽、美術、建築等)など、インターネット上の情報を凌駕する世界を相手にして、先行研究を渉猟し、自分の論を打ち立てる知的営為に立ち向かうことができます。人文系博士論文は、書物という形にまとまる可能性をもっていて、それを人生の新たなスタート地点として、一生、自分と自分の探求を大事にする契機を手にすることができるでしょう。その書物は何よりも、「社会」と再び繋がる何よりのツールにもなるのです。

 では人文系学問の醍醐味とは何か、社会的価値とは何か——
人文系学問は基本、「今」ではなく、「百年後」の社会に到達すべき新しい思想、哲学、言説、美的造形などを探求し、「価値づける」作業を担っていると思います。歴史的過去を探るのもまた、現在の私たちの思考を照らすためともいえます。大学は基本、「言説の問い直し」が自由にできる可能性がある数少ない場所でもあります。例えばジェンダーの多様性、SDG’Sの思考方法などは、文学・芸術が長く追求してきた、そして人文系学問がその価値を発見し、分析し、社会に発信してきた長い時間の賜とも言えるのです。

 政府や企業の方々に向けても、人文系学問がそのように「新しい価値の創造」を担っていること、それによって社会的利益を最終的に生んでいることを改めて認めて頂きたいと思っています。人文系博士課程でも、博士号に至ることができる人材は限られるだけに、博士号取得に至った者は(論文を書くという営為の中で)、高度の語学力、読解力、(何よりも)情報収集と分析力、膨大な調査経験を通じた人間力、アスリートさながらの忍耐力と目的遂行力を身につけていると、30年に及ぶ博士論文指導の経験で観察しております。その多くが大学人として巣立っていきますが、適材適所は社会の至る所にあると感じますし、そうした人材を活かして、国力、社会力を上げていく可能性を、理系人材と同様に検討して頂きたいと、心から願っています。

 最後に、関連するいくつかの情報を——

1 『毎日新聞』の記事冒頭でも紹介があった、「博士論文」特輯は、日本の学術雑誌ではほぼ
  初めての特集だと思われます。この雑誌は一般およびネット書店で購入可能です。

  東大比較文學會『比較文學研究』第108号(特輯〈博士論文〉)、すずさわ書店、2023年1月
   *詳細目次 http://www.todai-hikaku.org/pdf/HP掲載用108号詳細目次.pdf

2 東京大学比較文学比較文化研究室のサイトでは、博士論文刊行本一覧を掲載しています。
  http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/graduate/theses/book_list.html (1969年〜現在)

3 なお東京大学が博士論文の刊行書を紹介している次のサイトは、人文系学問が若い世代によって
  どのように開拓されているのかを示す一例だと思いますので、ご参照頂けると幸いです。
 「東京大学ビブリオプラザーー若手研究者による著作物」
  https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/fy2022.html


                          (2023年5月31日) 東京大学大学院教授・今橋映子

名残の薔薇:はじめに

 2020年春、新型コロナウイルスの流行と共に、私たちの日常生活は大きな変化を余儀なくされた。2月の半ば、「先生方のどなたも取り残すことなく、オンライン授業を4月から開始します!」という驚くべき宣言と共に配布された大量のマニュアルを握りしめ、オンライン化の波に揺られるまま、春から夏が過ぎていった。
 東京は、いわゆる「ロックダウン」こそ至らなかったものの、外国人観光客もビジネスマンも学生たちも激減した山手線に乗ると、穏やかな日差しが届く車内はしんと静まりかえってうたたねをする乗客も多く、なぜか中学高校時代の東京に後戻りしたような錯覚に囚われる。

 授業は自宅、昼食も自宅、そして夕食も・・・東京郊外に住んで「通勤族」の一人だった自分の日常に、ほどなく「散歩という新しい習慣」が生まれてくる。どこに行くのでもなく、20分ほど離れた別の駅まであえて歩いて、ちょっとした買い物やらをすませて帰ってくる日常。それまで、確かしょぼけたような感じだったはずの団子屋が、季節の餅菓子やお稲荷、赤飯などを盛大棚に並べて大盛況である。郊外族はとかく、毎日の思考が都区内の職場に向かっているので、自分の「地元」を無視して生きているし、実はあまり愛着ももっていない。ところがコロナ禍で俄然、自分は「今どこに生きているのか、これからどこに生きるべきなのか」という深い問いが沸いてくるのである。おそらくこの3年ほど、マスコミに報じられる「都会から地方への移住」もまた、そうした各自の問いと関連付いているのだろうし、「移住」による地方活性という目論見とも連動しているのだろう。

 私は3歳から東京郊外で育って、半世紀以上住み続けてきた。団地から住宅地へというわずかな変化はあったものの、東京郊外の変遷を見届けてきたつもりだった。けれども都会勤めの三十年の間に、どことなくやはり廃れてきた住宅街は、コロナ禍の散歩で改めて目に入ってきた今の姿である。一方で歩き続けてみれば、不思議に愛着(あるいは執着?)もあることに気づいてくる。何よりも新興住宅地がいまや「新興」でなく、それぞれの家も古びて、それだけに一軒一軒を「住みなす」個性がにじみ出ているのを、のんびり歩きながら観察するのは、やはり愉しい。我が家の狭い庭の、やりつけない庭仕事をどのくらい「ちゃんと」やるべきかと思案していたのだが、散歩して何十軒という家とお庭を「拝見」すれば、それこそ多種多様、みんな好き勝手にご機嫌に住みなしているのが分かる——そうした日常こそが最上の贅沢であることを、とりわけ2011年と2020年からの厄災で、私たちは会得してきたのかもしれない。

 コロナ禍のマスク生活にも、毎日何時間にも及ぶオンライン授業と会議にもようやく慣れてきて、秋も深まったある日のこと——散歩の途中で、しかも我が家から一つ角を曲がっただけの近所の家に、薔薇の花が「まだ」咲き続けていることに急に気づいた。
園芸には詳しくないのだが、秋に咲く薔薇でなく、春から咲き続けているその同じ木である。背高く3メートル近くあるので気づきにくいのだが、確かにまだまだ上の方で薔薇が咲き続けている。秋の陽が傾いて、かすかな寒風に吹かれながら健気に咲いているのである——「名残の薔薇」、そう思った途端、私の脳裏に鮮明に浮かぶ、ある名文章があった。(つづく)