『近代日本の美術思想(上)』
黒田清輝や森鷗外の盟友でありながら、忘却の彼方となった美術批評家・岩村透。
なぜ彼は忘れられたのか——美校の初代西洋美術史教授であった彼は、制作家と社会を結ぶ批評を重視し、「美術」による社会変革を試みた。1910年代の日本で、百年後の「美術と社会」を見据え、美術ジャーナリズムやアーツマネジメントを展開。美術概念を拡大し、工芸や装飾美術、建築の重要性を先駆的に喧伝した。一方では言論統制下に制作家の自由を擁護し、美術行政を論じる。鷗外や黒田、荷風、中條精一郎らと共に、若い前衛芸術世代の基盤をいかに築こうとしたか——。
上巻では、アメリカに留学し、美術批評家を志してパリに渡った若き日から、1910年代装飾美術運動の牽引に至るまでの軌跡をたどる。「世界の印象派」「初期社会主義と美術界」「銀座・吾楽殿に集った建築家と美術家」「森鷗外が予見した岩村透の運命」など、読者は見たこともない世界に誘われることだろう。
上巻目次
はじめに——美術百年の志
第Ⅰ部 岩村透を読み直すために
第1章 その生涯 (1870-1917)
第2章 岩村透研究の推移と問題点
第3章 美術批評史研究の推移と岩村透の位相——批評期区分の試み
コラム1 岩村透の蔵書——明治大正期知識人の世界像
第Ⅱ部 世紀転換期の美術批評と岩村透の仕事
第4章 美術批評はいかにして可能か
第5章 技芸家のための西洋美術史
第6章 ボヘミアニズムの仕掛け人——「巴里の美術学生」の波及力
第Ⅲ部 明治大正期の初期社会主義と美術批評
第7章 坂井犀水と初期社会主義
第8章 岩村透と初期社会主義
第9章 先取られた追悼——森鷗外「かのやうに」における岩村透像
第Ⅳ部 前衛史観に抗して
第10章 『美術新報』改革とその戦略(1909−1913)
第11章 文展時代の〈小芸術〉——〈民藝〉直前の装飾美術運動